日蓮宗 大本山
中山 法華経寺
境内案内
「大堂」とも云われ、18間、四面の千葉県下で最も大きなお堂です。延宝6年(1678)第42世日純上人代に上棟、比翼入母屋造りの様式を持つ全国唯一の仏堂です。正面には本阿弥光悦による「祖師堂」の大額を掲げています。堂内に安置される日蓮大聖人像は、中老僧日法上人の作で、その両脇には、当山歴代6祖の御像を奉安します。平成9年、第140世日還上人代に、建立当時の姿に復元されました。
日蓮大聖人の多くの御真蹟が、当山聖教殿に伝存されています。これほどまでに御真蹟を恪護することが出来たのは、大聖人の遊学時からの檀越であり、理解者としての日常聖人のご尽力に他なりません。 日常聖人は、永仁7年(1299)に「常修院本尊聖教事」を著し目録とされ、「聖人御書ならびに60巻以上聖教等、寺中を出すべからざる事」と堅く門外不出を遺言し、さらに昼夜を問わず御書を護る「聖教殿居事」を奠められます。 以来700有余年、歴代貫首が遺言を厳守し、御真蹟を恪護されてきました。 昭和6年、日蓮大聖人第600遠忌事業として、聖教殿が建設されました。国宝の「観心本尊抄」「立正安国論」をはじめ、重要文化財56巻4冊1帖、3幅、百数十点の大聖人の御真蹟を恪護しております。
元和8年(1622)第18世正教院日慈上人代、本阿弥光室の本願(本阿弥家一門の菩提を弔うため)によって、加賀(石川県)前田公の寄進により建立されました。3間4面銅版葺。
大正15年、第118世日修上人代に再建、赤門・仁王門とも呼ばれています。本阿弥光悦が揮毫した扁額「正中山」は関東三額のひとつとされています。 三門には、貧瞋痴の三毒を解脱する教えがあります。
享保4年(1719)第59世日禅上人代に鋳造され、身丈1丈6尺(3.56m)台座2間半の堂々たる大仏です。鋳像では千葉県一を誇る大きさです。
日蓮大聖人が「初転法輪」の百日百座説法をなされた宗門最古の貴重な堂宇です。一尊四菩薩が安置され、室町時代後期に改修されました。正面には本阿弥光悦揮毫の「妙法花経寺」の大額が掲げられています。
鬼子母神と十羅刹女を安置し、お題目による罪障消滅の霊場として、参詣者が終日太鼓の音を響かせています。また堂内には大黒尊天を奉安し、甲子には多くの信徒が参詣します。
静岡県掛川の第3代藩主、太田資順公が揮毫した「如来滅後 閻浮提内 本化菩薩 初転法輪 法華道場」の扁額があり、如来滅後の末法において、本化の菩薩が初めて法華経を説かれた道場であると掲げています。江戸初期の建築と考えられており、平成23年には改修工事が行われました。
堂内には釈迦・多宝・四菩薩等の諸尊が奉安されており、毎年11月1日より翌年2月10日まで大荒行堂が開設され、檀信徒の御祈祷が行われます。大荒行堂では、日蓮大聖人が当山に遺された御祈祷の秘伝を伝えるとともに、「止暇断眠・読経三昧」に全身全霊をかけ、苦修練行がおこなわれます。
第三祖日祐上人が正法護持・国土安穏・除災招福の守護神として、千葉家伝来の北辰妙見菩薩を奉安しています。現在の建物は昭和40年代に再建されました。
平成9年、初祖日常聖人第700遠忌事業として、第140世日還上人代に再建されました。寺務所・客殿・僧坊を兼ねる総合的な機能を持つ建物です。
富木常忍公の館跡。日蓮大聖人を迎えて「法華寺」の寺号を奠めました。現在は大聖人説法の霊地として、法華経寺の発祥の地として重要な位置をしめており、当時の土塁が今なお現存しています。日常聖人の御廟所があることから、大荒行の入出行会には荒行僧が参詣し読誦する習わしとなっています。
当山の守護神、宇賀徳正神が奉安されています。宇賀弁財とも云われ、頭上に宝冠をのせ、長い髯のお姿をした御尊像です。豊作・豊漁、また財福の神として広く信仰されています。
門の前後に控柱が4本建てられていることから四足門と呼ばれます。室町時代に鎌倉の愛染堂から移築したと伝えられる、切妻造りこけら葺の門です。